ようこそ!
この映画コラムを担当するアーロンです。
と言っても勝手な独り言と思ってください。
では早速GO!


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Back Number
番外編 インディーズ映画上映レポートその2 『電丼秋祭り映会』
VOL.19 『誰も知らない』〜誰の上にも朝は訪れ、誰の上にも夜はやってくる
VOL.18 『 華氏911』〜 初めての映画体験
VOL.17 デジタルとアナログの融合『ハルク』
VOL.16 誰もが知ってるミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』なのに・・
番外編 インディーズ映画上映レポート
電丼・上映会『誠太郎〜山茶花の小径』/Filmix『スキヤキ』
VOL.15 没後10年、『マイ・フェア・レディ』=オードリー・ヘップバーン
VOL.14 原作と映画の間『ティファニーで朝食を』
VOL.13 不滅の抗争の中に有る悲劇『ウエスト・サイド物語』
VOL.12 「アンナ・マデリーナ」・・・誰にでもいる モク・マンイー
VOL.11 インディーズのような『少林サッカー』
VOL.10 それではみなさんさようなら。『自殺サークル』

番外編 インディーズ映画上映レポートその2
電丼秋祭り上映会(2004.9.18 土曜日)
9月に入っての上映会だったため『秋祭り』には成ってしまったものの、なんのなんの!補助席まで出すほどの熱さに興奮の『電丼祭』に行ってきました。

僕が今年前半大病をした為、久しぶりの自主上映会だったような気がします。ちょっと?ドキドキしながら久しぶりの佐倉駅に降り立ちました。

ミレニアムセンター佐倉大ホールの自動ドアを通り抜けると、懐かしいさわやかな笑顔が飛び込んで来ました!しばらくの間の星野佳世嬢との熱き抱擁を人目をはばからず済ませ、TATさんと軽く(爆)挨拶を済ませ、開映間もない会場内に入り、急いでメモの用意をしました。

今回の上映は、上映順に紹介すると・・・

『ドーナツ』2003/シネマドッグ制作/50分

『星野佳世秘蔵映像集』

『天使の羽根 第一シーズンSP』2004/天使の羽根チーム制作/68分(オムニバス5本)

です。・・・では順にレポートを・・・

ドーナツ』2003/シネマドッグ制作/50分

いやはや歳にはかてません!?作品の内容の問題では無く、ちょっとバタついて来た所為か、前半分寝てしまいました!!

よって、パンフレットを交えながらのレポートです。

主人公は比類まれなる夢想家、多感な時期の女子高生です。でもきっと、この夢想家の女子高生の存在は、現代社会が無くしかけてる、独創性と可能性を秘めた個性の、日々を確固とした足取りで生きる人間の悲喜劇を直球勝負で描いた作品です。

主人公の「あすみ」(明日見)は、親指と人差し指とで作ったドーナツ型のリング(パンフでは望遠鏡と書いてある)を覗いては空想を楽しんでいる。リングはお父さん指とお母さん指で作られているが、彼女にはその父親の記憶が無い。彼女はそのリングから見える男の人の背中を見ては「お父さん」と相手構わず声を掛けてしまう。しかしある日、父親からの絵葉書を見つけ、彼女は一人無謀な冒険に旅立つのだ。盗難に遭ったり、「お父さん」とは、とてもじゃないが声を掛けられない頼りない不倫男に関わって行く事で、只の夢想家の少女から、大人の夢想家へと変わり、色んな現実を受け止めて行く・・・ドーナツの穴は決して食べられない事を悟って行くように・・・


星野佳世秘蔵映像集

いやはや、怪物かもしれない、やはりこの人は!彼女の輝きは、永遠の女性の課題・・・素顔でいる事を恐れない偉大さだろう。初期の作品の、あのパンパンの顔!!少し痩せた現在の彼女。どんな役も恐れずにこなす力量は、かのベティー・デイビスにも匹敵するかもしれない美と恐怖を期待せずにはいられなくなるのだ!・・・これからも、いつまでも、死ぬまでスクリーンの上に臆する事も無く星野佳世をさらけ出して欲しい!!かのベティー・デイビスのように、強烈に輝くのだ!!

僕は『星野佳世秘蔵映像集』第二段、第三弾が嫌でも出来る日を待っているのだ!

天使の羽根 第一シーズンSP』
2004/天使の羽根チーム制作/68分(オムニバス5本)

ここにまた、自主制作ならではの、しかしもはやインディーズとプロの境が無くなるような作品が産声を上げた。無駄を徹底的に省き、1つの共通のテーマに添い、色んな感性が1つの映画を創り上げるのだ。『トワイライトゾーン』に似てなくも無い。しかし、確実にかの『トワイライトゾーン』を追い越してしまった勝因の背景には、このタイトルにもなる“天使”の存在を核に持って来た事だ!・・・共通する事は、CGで描かれる天使が自ら抜き取った己の羽根に何らかの形で関わる事で出遭うミラクルだ。作り手は解っている。とても基本的な事の中に、真実・幸福は存在するのだと・・・。

初めは涙を流しながら羽根を抜く天使の意味が解らなかった。でも作品が進む事に、作者の奥深さに感動さえ覚えた。

天使は、己の羽根を抜く痛みや、いつまで抜く事が出来るかと言う、夕鶴的な悲しみは欠片も持っていないのだ。天使が流す涙があるとするなら、それはただ一つ・・・この世の痛みに対して流す涙だけなのだ・・・。

・・・僕はこの『天使の羽根』の次回作を期待せずにはいられない。しかしそれは、第一シーズンSPの焼き直しではいけないのだ。かのフランソワーズ・サガンが言っている「観客は次回作には機関銃を持って待ち受けているのだ」と・・・。





VOL.19
『誰も知らない』
〜誰の上にも朝は訪れ、誰の上にも夜はやってくる

1988年に起きた幼い女の子の死・・・『西巣鴨、子供4人置き去り事件』は最初「長男のセッカンが末の妹の死を招いたのだ」と報じられた、しかし長女の証言「お兄ちゃんは優しかった。お母さんよりもいっぱいご飯を食べさせてくれた」、長男の度重なる死んだ末の妹の墓参りを知ると、世間は誰もが「この子達を置き去りにした、信じられない“鬼母”の事件だ」と言って疑わなかった・・・。その後、法廷の場で母親と再会した長男は、ただひたすら自分の至らなさを責め続け泣いてたそうである・・・。この子等の父親は別々である。この母親を“鬼”と呼ぶなら、4人の父親はいったい何なのだろう?これらの事実が是枝裕和監督の中に疑問を抱かせ続けた。果たして4人の子供が鬼の母親から地獄のような日々を送らされていたのならこの子等から、このような言葉や行動は出たのだろうか?子供は日々洞察し大人よりも考える事をしているではないのか!と・・・。

・・・そしてその事件は、時代の中で人々の記憶の中から風化して行くのである・・・。

2004年の春、カンヌは、いや世界中の人々は、カンヌ映画祭史上最年少の主演男優賞の誕生に、鳴り止まぬ拍手を贈った。日本のメディアは驚いた。それが日本人の少年だったからである!・・・少年は一夜にしてスターなった。

彼の名前は、柳楽 優弥(なぎら ゆうや)くん、将来の夢は、サッカー選手になるか俳優だそうである。

カンヌ映画祭で彼が他の強豪を差し置いて史上最年少の主演男優賞を獲らなければ、この映画は一部の映画館で、一部の人からしか支持されないマイナーな映画で終わった事かもしれない・・・しかしわずか14歳(撮影時は12歳)の快挙は、彼を、是枝裕和監督を一躍時の人に変え、この映画の上映館・上映日数の拡大をもたらした。・・・そして1988年に起きた『西巣鴨、子供4人置き去り事件』は、2004年の春、映画『誰も知らない』に生まれ変わり、誰もが知る作品となるのである。

映画は、そのアパートに柳楽くん演じる明と、YOUさん演じる母親が引っ越してくる所から始まる。

引越社の職員が大きな家具を引越トラックから2Fの部屋に運んでいる間に、この親子は2人がかりで、大事そうに2個のスーツケースを自分達で運ぶ・・・そして残りの物を運び込んでもらってる間に、3Fに住む大家の所に挨拶に行く・・・

新居に戻り引越社の人が帰ると、先ほどの2個のスーツケースを開ける。と!中から何と幼子が2人出てくるのだ!!「暑い、暑い」と言いながら。・・・かなりの事情もあるのだろうが、とんでもない事をする親だなぁ〜、と思う反面、楽しそうに出てくる子供達に・・・慣れてるな!楽しんでるジャン!!なんて思えて来るのである。そんな常識を逸してる部分がある反面、まるで兄弟のような母子関係が暖かくさえ描かれる。

そんなある日、母親に新しい“好きな人”が出来てしまう。登場シーンは少ないが、YOUさん演じる母親が実に純粋に悲しいのである。子供を育てる責任の自覚と、子供の中に溶け込み同列でしか居られない時の無責任さが、子供が取れる行動半径と、無責任でも1年経てば1つ歳を取る成人した者が取れる行動半径の落差を起させて悲劇を呼んでいる。少なくとも羽田空港へのモノレールが通る街に住む子供達と、母親から送られてきた現金書留封筒に記されていた“川崎市中原区”とは、そこに住む大人の感覚なら毎日通勤出来る程の距離感なのである。そんな距離感の差さえ、彼女には認識出来ないのであろう。

これは行動半径にとどまらず、感覚の落差は金銭・家事の分担などでも随所に描かれている。明は母親とは反面の部分を持っている。ある時は大人として振る舞い、片方で子供なのである。それを多分一番無意識に理解させられてしまっているのである。・・・もしもこの子に苦しみ・辛さが有るとするなら、それは子供として純粋に母親の胸の中に飛び込んで甘えられない不幸だろう・・・。人とは、生きて行く根底が孤独で不安定な時とか、動機が不純な場合ほど、生命の源が最も大きな原動力を呼び起こすものである。この子の場合も、それが時には妹達の面倒見に変ったり、コンビニの店員との対等な会話・行動に表われ、妹達の存在を解っていながらも友達を家に連れてきたい!野球をしたい!と成ったり・・・自分の片割れ=母の不在が子供と大人が混雑する行動へと加速し、心の不安定へと暴走して行くのである。

その暴走の頂点は、ラスト近くでの末の妹の死で一つのピークを迎える・・・。彼の混乱は妹の死体を元入ってきたスーツケースに押し込める時に「・・・こっちは小さい」と言わせ、すぐ上の弟が入ってきた大き目のスーツケースに移し変え、モノレールに乗せる恐さを逸した行動を支え、空港近くの空き地に穴を掘り、埋葬を手伝ってくれた友達に死んだ妹に触った時「・・・冷たくて、気持ち悪かった・・・」と表現させる・・・。

それから数日後、まるで何事も無かったかのように、また元の生活を始めているこの子等の様子が描かれて終わる。このラストシーンを“生きる事への逞しさ”と受け取る人も居るだろう・・・。しかし僕には、この子等を背後から見送る背景に悲しみを覚えた・・・彼等は背中を見せ向こうへと歩いて行くのである。決して、こちらに向かって来るのでは無いのである。

誰の上にも朝は訪れ、誰の上にも夜はやってくる と言うのに・・・僕等は彼等を『誰も知らない』彼等の世界へ見送る。

(公式HP)http://www.daremoshiranai.com/





VOL.18
『 華氏911』〜 初めての映画体験
今、最もホットな映画の1つだろう。2004年/アメリカ/2時間程のドキュメンタリーである。

監督・製作・脚本:マイケル・ムーア / 出演:ジョージ・W・ブッシュ
「ボウリング・フォー・コロンバイン」でアカデミー賞を受賞したマイケル・ムーアの今度の標的はアメリカ・・・

このドキュメンタリー映画は、2001年春、史上最大の大接戦を見せたゴア対ブッシュの大統領選の裏側を暴露する事から始まる。当然その時点では、あの世界貿易センタービル崩壊のテロ事件は起こってない訳で、ここまでの皮肉タップリのユーモアは、その後に待ち受ける真っ暗な画面の中に轟き渡る世界中を震撼させた世界貿易センタービルに突っ込む民間機の大音響で、切り替わるその後の映画のテンポを大いに引き立てる事になる。

ここにも、映画的な手法で言うなら、いくらでも存在するだろう民間機が世界貿易センタービルに突っ込むシーンを撮影した映像を観せないで、観客の想像に依託する事をしたお陰で、観ている僕は、僅かな時間に、2001年9月11日、日本時間午後10時に突如飛び込んできて、夜中まで目を離せなかった、あの衝撃的なニュース映像、時間帯、精神の苦痛がフラッシュバックのように鮮やかに脳裏に蘇ったのだ。

イラク戦争の正当化がジョージ・W・ブッシュによって語られる。何人も我が子を戦場に送り出した保守派の母親によって語られる。・・・マイケル・ムーアのドキュメンタリーの編集の仕方が偏っていないとは言えないだろう。しかし、捉えられた映像もインタビューを受けている人の言葉も、その時点での真実だろう。

予想以上に長引く戦争に、この戦争に加わった事を後悔をするアメリカ兵の様子。1人殺すごとに1つ自分の心も殺されて行くと語るアメリカ兵。そんな長引く戦争に不足する兵士を、失業率の高い地区で兵士を募集する、まるで何処かの会社の人事の者のように名刺を配りまくる勧誘の兵士・・・。日本の社会でも見られた、職安の前で名刺を配る季節労働の勧誘のようである。

映画はさらに、決して日本のテレビ映像では見せられなかった生々しい映像も容赦無しに写し出して行く・・・。
爆風によって骨がむき出しになったイラクのまだ呼吸をしている幼児の映像。黒焦げになり吊るされ、あるいは車で引きずり回されるアメリカ兵の死体。泣き叫ぶのを通り過ぎ、もはや悲鳴を上げながら手術した頭皮を縫い付けられて行くイラク人の男の子。腕の半分を無くし、病院のベットでモルヒネを打ち続けているアメリカ兵士。1日に5件の葬儀を出し我が家も無くしたと泣き叫ぶイラク人の女性。捕虜になったイラク人に麻袋を被せ首にロープを巻きつけ、記念写真を撮るアメリカ兵。などなど・・・

そんな中で、先ほど出てきた“何人も我が子を戦場に送り出した保守派の母親”が現れる。彼女の息子がイラクで戦死したのだ・・・。息子は戦地に行く前に「僕は戦争に行きたくない」と言い続けていたそうだ。彼女の手には1通の手紙が握り締められていた・・・。死の1週間前に届いた、最後の息子からの手紙・・・。そこには「早くみんなに会いたい、帰っても今度の選挙ではブッシュには投票しない・・・」、手紙には、ギッシリとしたためられた直筆の文字が並ぶだけだった。・・・この母親は息子の戦死を告げる政府からの電話を受け取った時から泣き続けた。そして変った・・・。

ある日、ホワイトハウスの前に佇む、この母親の姿があった。そこには、この戦争を反対して座り込みを続けている女性が居た。その女性が彼女に訴える「イラクでは罪も無い人達が何人も死んでいるのよ!」と。母は応える「私の息子・・・」と。そこに別の保守派らしき女性が現れ「この女は、自分が目立つ為に、ここに座り込んでるのよ!」と。するとまた座り込みを続けている女性が訴える「イラクでは罪も無い人達が何人も死んでいるのよ!」と。母も保守派の女性に訴える「私の息子も死んだのよ!」と。そしてこの母親は言う「初めて自分の居るべき場所を見つけたわ」と・・・。バックには何事も無かったように整然と建つ白く冷たいホワイトハウスが見えている・・・。

ご存知の通りマイケル・ムーアはこの映画で、カンヌ映画祭でドキュメンタリー映画としては、久々の快挙の“パルム・ドール賞”を受賞している。アメリカでの配給権はもめたが、やっと公開されアカデミー賞の有力候補にも上がる中、先日、ある意味驚くべきニュースが流れた。アカデミー賞受賞の権利など放棄してでも、是非マイケル・ムーアはこの映画を大統領選の前にテレビ放映したいと言ったのである。

元々アカデミー賞とは映画の為の賞である。その1年の間にアメリカ本土で公開された映画を対象としてる。賞を獲る前にテレビに乗せてしまえば、映画の為のドキュメンタリーには成らないのである。彼には賞など何の価値も無いのである。彼の価値は自分の作品を、より多くの人に観てもらう事にあるのだ。

近くて遠い国アメリカ、その庇護の下に政策を練る日本の政府・・・。イラクに自衛隊を派遣して、砲弾も近くに打ち込まれた同じ年頃の若者達。あの湾岸戦争で今も残る劣化ウラン弾の放射能に汚染され続けているイラク・アメリカ、そして日本の人々・・・。

映画は、あくまでも娯楽の芸術だとする人も多いだろう、しかし何故今このドキュメンタリーが他の大作を押さえ、映画の興行成績の上位に君臨しているのだろう。

(作品紹介)http://www.minipara.com/movies2004-3rd/kashi/





VOL.17
デジタルとアナログの融合『ハルク』
「僕は、この「アーロン・ザ・ワールド」を書く事を引き受けて、初めて書きたい事に詰まっていた・・・。
何を書いても“つまらない”のである。たとえ書き始めても行き詰まってしまうのである。・・・たぶん産みの苦しみを味わっていた・・・と言えばカッコ良いのだろうが、何を書いても“新鮮じゃ無い!”・・・と言うのが最大の理由だったんだろう。もしかすると現実よりも新鮮な映画が出てこなかった・・・と言うのが、正直な答えかもしれない・・・。

その間、それでも「落としあな」撮影レポートを書いたり、電丼さん(当ホームページ・リンク参照)の撮影レポートや上映会のレポートを書いたり・・・と依頼を受けては原稿を書いていた。

そして、久しぶりに“・・・ああ、これは僕の中では新しい発見だ・・・”と思える映画を久しぶりに観た。
『ハルク』である。ロードショーが始まったばかりである。・・・なぜ『ハルク』を観たかと言うと、実に動悸は単純な物である。六本木ヒルズで友達と映画を観ようと言う事になり、キャラクターの懐かしさから単純に『ハルク』に決っただけの事である。

映画『ハルク』の本題に入るまでに、なぜここまで引っ張るかと言うと、決して映画『ハルク』そのものが大変作品として素晴らしいから!とかでは無く、それだけ最近の映画に触手が動かなかったと言うのが真実かもしれない。。

昔、アメリカンコミック、そしてTVのアメリカンアニメに『超人ハルク』と言うのが有って、それを見た人も決して少なくないと思う。映画『ハルク』は映画としてその『ハルク』が生まれ変わったかと言うと、期待をするだけヤボである。だったら何故、映画『ハルク』を観たかと言うと、期待を上回りも下回りもしない安心感で時間を費やせる気がしたからだと思う。

映画『ハルク』はもちろん実写版であるから、肝心の変身した後の主人公『ハルク』はCGキャラクターである。
こんな事は、現在どうでも良い事だ。僕が感動して触手を動かされ興味を持って観入った所は、手法としては決して新しくも何とも無いが、一つの画面の中をいくつかに分割するマルチスクリーンの手法を、徹底的に多様化して使いまくってる所である。

もう現代は、爆破シーンなとを数台のカメラで撮影して、同じ爆破を畳み掛けるように見せ、迫力を誇示する手法も、いわゆる『マトリックス』手法も、嫌と言う程見せられた。そう言う手法がいくらだって使える現代映画なのに、映画『ハルク』のこの、画面分割の、しかも違うシーンを一つの画面の中に収めて来る。手法はなんだ!・・・と始めは思いもした。しかし観ていて、その意図に気が付いた時から、僕は作品内容よりもその世界に引き摺り込まれたのである。

もともと『超人ハルク』はアメリカンコミックの世界である。いくら実写版の映画『ハルク』を撮ろうとも、質量保存の法則を無視したキャラクター『ハルク』は『マトリックス』の様に撮っても、『ジュラシックパーク』の様に撮っても、はたまた、そのままアニメーション映画として撮っても、新鮮にそれらを上回る事は出来無いのは当り前である。だったらそれをどうやって上回ろうとしたのかと言うと、映画『ハルク』は、おそらく低予算の中、一つの画面を分割して時間の短縮を徹底的に図り、スクリーンの1シーンの中に、コミック誌の1ページを作ってしまったのである!

我々は、コミック誌の1ページ1ページをさっさとめくるように、膨大な時間と空間を、現代的に我々に備わったスピードで適当に割愛しながらも観る事に成るのである。これだけ割愛されながらも観せる事には期待を大きくは裏切らなかった映画である。2度、3度、と観る中に、当然観逃したシーンも違った視点も発見出来るに違いない。自覚した映画、コンピューター技術を意識して逆行した映画、コミックの良さをスクリーンに再現してくれた映画、そしてまるでインディーズ畑の人が創ったような才能を見せてくれた映画・・・それが映画『ハルク』である。




VOL.16
誰もが知ってるミュージカル
『サウンド・オブ・ミュージック』なのに・・・絡み合い・・・
「ドレミの歌」や「エーデルワイス」など、学校の教科書でも習った曲が満載のミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』は、日本人になじみ深いミュージカルの1本でしょう。この実話を元に作られた『サウンド・オブ・ミュージック』は、リチャード・ロジャースとオスカー・ハマーシュタインKのミュージカルの大御所コンビが創り上げた、コンビ最後の代表作です。他にはどう言う作品があるかって?・・・例えば、テーマソングが後の州歌にまで成った『オクラホマ』でしょう・・・舞台劇「リリオム」のミュージカル化『回転木馬』・・・『王様と私』『南太平洋』などなど・・・『ステート・フェア』もそうでしたっけ。

ミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』を監督したのは、ロバート・ワイズ・・・「アーロン・ザ・ワールド Vol.13」でも紹介したミュージカル映画『ウエスト・サイド・物語』をジェローム・ロビンソンと共に監督した人です。やはり同じ監督の演出、面白い共通点は、その冒頭のたっぷりと見せつけてくれる俯瞰撮影です。一気に物語の中心人物の環境を見せ、その核心に迫って行く所でしょうか。

主役のマリアを演じたのは、舞台『マイ・フェア・レディ』の主役を務め、映画化の時に、その役をオードリー・ヘップバーンにかっさらわれ、同年のディズニー映画のミュージカル『メリー・ポピンズ』に起用され、アカデミー主演女優賞をかっさらったジュリー・アンドリュース・・・『ティファニーで朝食を』のブレイク・エドワーズ監督の奥さんです。
どうひいき目に見ても、前作『メリー・ポピンズ』よりも『サウンド・オブ・ミュージック』のマリアの方が良い演技、はまり役だと思うのは、私だけでしょうか・・・。

まあ、とにかく、このマリアとフォン・トラップ一家のナチスに抵抗する姿は、美しい自然と音楽と共に描かれて、感動を誘うへと一直線に向かって行くのですが、ちょっと見直してみると、じゃあ途中までトラップ大佐と婚約までしていた伯爵夫人は、その後第二次世界大戦に巻き込まれた後、どうなったの?長女リーズルの彼氏ロルフはナチに残ったまま戦後を迎えたの?こういう人と関わり合いを持ちながら・・・そう言う人達を救う事は、あの状況下、自分たちの未来の為には切り捨てるより他になかったの?・・・なぁ〜んて、思わず考えてしまうほど、美化され過ぎてる気さえするのです。
最も、この作品の特質上、否めなかったとは思うのですが・・・。

音楽の話をしましょう。このミュージカルのナンバーは、さきにも上げた「ドレミの歌」や「エーデルワイス」などの他にも、最近“ラテラテ”のコマーシャルでもおなじみの、長女リーズルと彼氏ロルフがデュエットした「もうすぐ17才」などの親しみやすい曲で全編が綴られています。特に「ドレミの歌」は日本語の歌詞でもおなじみですが、原曲を良く聴くと、“シ”の所を“ティ”と発音しています。・・・元々“シ”と発音するのはラテン語から来てますが、ミュージカルと言う文化が育ったのはアメリカです。リチャード・ロジャースとオスカー・ハマーシュタインKは、ヨーロッパが舞台のこのミュージカルに、「アメリカ製なんだぞ、このミュージカルは・・・」的な物をどこかに残したかったんだと、それがこの発音に現われたんだと聞いています。・・・ちょっとおかしなエピソードだとも思いますが・・・これがアメリカらしさとでも言いましょうか。

さて、飛び飛びに紹介してきた3本のミュージカルをさして“3大ミュージカル”と呼ぶ人もいます。もし観てない人がいらしたら、機会が有れば是非観ておきましょう!とても有名な話ですが、先に紹介した『マイ・フェア・レディ』と『ウエスト・サイド物語』の主役の吹き替えをしたメゾ・ソプラノのマーニー・ニクソンが、シスター・ソフィアの役で『サウンド・オブ・ミュージック』に出演しています。彼女はそれまでにも『王様と私』『めぐり逢い』のデボラ・カーの歌の吹き替えもしています。とても珍しい存在の人です。色んな人の声質に合わせるように歌える方ですが、この頃までハリウッドは、吹き替えた人物の名前を全面に出したくない傾向にあった為、『マイ・フェア・レディ』の時、ワーナーとの「名前を出さない事」って言う契約事項の規則を破って自分で名乗り上げた人です。今では考えられない事ですが・・・。今は映画のおしまいには必ず長い長いエンド・タイトルが流れて隅々の人達まで、ちゃんと敬意を示しますからね。

いゃあ〜、映画の歴史も様々な想いの絡みが存在するものですね!




番外編 インディーズ映画上映レポート
電丼・上映会『誠太郎〜山茶花の小径』/Filmix『スキヤキ』
2002年の 4月、I.D.K.は初めての“遠足と言う名の電車”に乗せられて、京成線の「佐倉」と言う駅で降りて、0分の建物に行けと司令があったんです。「ミレニアムセンター佐倉大ホール」に集れって・・・
とこんな書き出しをしたらまるで テネシー・ウィリアムズの『欲望と言う名の電車』のような書き出しですが、あんなドロドロとした状況でもありません。むしろ、和気あいあいと東京駅丸の内口から電車に乗り、途中で京成線に乗り換え、「ミレニアムセンター佐倉大ホール」で、I.D.K.と相互リンクを貼ってる自主映画団体「
電丼」さんの撮影中の新作映画『誠太郎〜山茶花の小径』のエキストラ出演と、出来上がったばかりの新作映画『ユーカリSTORY』のお披露目上映会に行って来たんです。
今、思い出せば楽しい一日でした。(もちろん他の集まりでも、僕にとってはいつも新鮮で、利害関係が絡まない集まりって、本当に良いなぁ〜と想っている今日この頃です)

エキストラ会場での地震体験

そして2003年 1月18日(土)、ついに僕達が遠足と言う名でエキストラ出演した、電丼作『誠太郎〜山茶花の小径』上映会の運びと成ったのです。監督は違いの分る男、あの『おいしい野郎』(I.D.K.NET-TVにて全編配信中)の宮崎英輝 監督、約90分の上映時間の中に、劇中劇として『おいしい野郎〜西へ』が収録されているとの事!も〜う、目を皿のようにして映画にのめり込みました。

・・・と、少し気を持たして置きながら、その前に招待作品として上映された『
スキヤキ』2002年度/Filmix製作/馬上 修治 脚本・監督作品の感想を 一言+α・・・
この作品は、 1月26日の11時から、「シネマ・下北沢」のモーニングショーにも馬上 修治 監督の新作映画としても掛かった作品です。当日は、一般1500円掛かった所を一足早く、兼映で拝見させて頂きました。

ちらしにも「青春の光と影・・・」と書いてありましたが、一つの作品としての筋書きを失わず、たった32分でいかに「明と暗」を見せるか!監督の手腕が問われる所です。ネタバレになってしまうかもしれませんが、それでも一見の価値は有ると思いました。
これは失われて行きそうな“義理と人情”“しがらみ”“愛”を織り込んだ(多くの作品が持つテーマ)作品ではあります。しかしそのテンポと計算された効果には手本を見るような心地よさがあります。親友とその恋人であるシャブ付けの妹の逃走を阻止するように命令を受けた・・・と言うより脅された兄の葛藤を描いているのだが、脅されてるシーンでは、その緊張を増幅させるように、壁に掛けられた振り子時計のカチカチと言う音がずっと鳴り響いています。裸足で恋人に電話を掛け続ける妹の手には、いつも ひまわりの花束が持たされています。これは、裸足に象徴される裸の純粋な心の象徴でしょう。ひまわりは、まっすぐに陽の光、恋人を見つめる この娘の純粋な心の象徴でしょう。

兄の葛藤を、3つの部分に分け、映画は構成されています。その中でも強烈な印象を残す、真ん中の、兄と今から殺そうとする親友との唐突とも思える スキヤキを食べまくるシーン・・・スキヤキのドロドロとした中にも1つ鍋を突つく2人の熱き仲を象徴させるシーンは上手い処理の仕方だと思いました。後半で殺される事を悟った親友が、兄にその辛さを少しでも和らげる為に背中を向けるシーンでは、悲しい思い遣りを悔しくも感じるヒトコマでした。だからこそ無い物ねだりをするならば、スキヤキ鍋の中に、もっと色彩が欲しかったのは僕だけだろうか?


話を戻して『誠太郎〜山茶花の小径』・・・宮崎英輝 監督は、も〜悔しいくらいに映画の観せ方が上手い!劇中劇として収録されている『おいしい野郎〜西へ』の部分は、フィルムに雨を降らせてるだけで、あの8mmの時代の金は無くても好きだから映画作りをしていたような暖かさと優しさと情熱を込める事に成功してるし、その裏付けが有るから、現実の空間を走り回る登場人物に人間味=血肉を通わせる事に成功している。誠太郎のキャラも『男は、つらいよ』をそのまま感じさせる事は否定出来無い物の、独自の永遠のテーマ?「人は勘違いをするから恋愛をし、愛するが故に愛する人を見送り、生きた証として辛くても忘れず又1つ大人へ成って行く・・・」こんな事を恥じる事無く正面から描き抜いている。当然の事ではあるが、登場人物が多いにも係らず、でしゃばりもせず、かと言って単なる付け足しにも成って居ない所も、この90分も有る作品には大切な事である。


ところで、何も解らずにエキストラ出演したシーンが、あんなに感動的なシーンに成ってるなんて、あの日の、言葉少な目の的確なるエキストラへの演出が、今更ながらに驚かされました。無い物ねだりをここでもするなら、一部、劇中劇から撮影シーンに切り替わる所で、繰り返す必要の無い同じ劇中劇と現在の重複が非常に良いテンポをリターンする事で崩してしまってた所が有ったと言う事と、テーマにもっと映倫が絡まないインディーズらしさが欠けていたと言う事でしょうか。

僕はかなり厳しい批評をしてるのかもしれませんが、僕も自主制作・インディーズを本当に可能性に満ちた世界だと信じて愛してるからです。何か1つ人の1歩先を描いて観客に突き付ける事は本当に大変な事だと思います。第一1人1人の感性なんて皆違う物だから・・・でもワガママなのが観客と言う者。それは良い演出家で在れば有る程、新鮮さ・高望みをしてしまう物なんですから・・・

クレジットタイトルは圧巻でした!参加したI.D.K.メンバーみんなが書いたとんでもない名前(本名は一人もナシ!)がそのまま出てるんですから。これもインディーズらしい良い所だと思いました。

上映後に、電丼の星野かよさんにご挨拶して帰路に着きました。誘いを受けた打ち上げに充分後髪を惹かれながら・・・







VOL.15
没後10年、『マイ・フェア・レディ』=オードリー・ヘップバーン
1993年の 1月20日、日本中を一つの悲報が駈け巡った。今から半世紀前 1953年、それまでのグラマラスな女性を否定するかのごとくハリウッドに彗星のように舞い降りた『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンのあまりに早い死去のニュースだった。

彼女の出演作(日本公開作品)のピークは、1953年の『ローマの休日』から1968年の『暗くなるまで待って』までの、わずか16作品である。ほぼ 1年 1作のペースにもかかわらず、彼女の家庭第一主義は映画の世界にも繁栄され、それは復興する戦後日本の環境の中で、ことに持て囃された。特に日本の女性からの支持は髪型にもファッションにも反映され、今でも日本中に彼女の与えた影響を見る。“ティファニー”や“ジパンシー”だけに留まらず、“サブリナパンツ”に“サブリナシューズ”“ヘップサンダル”“シャレードグラス”に“アリアーヌ巻き”・・・数え上げたらきりがない。

そんな彼女が1963年に撮り、東京オリンピックがあった年1964年に公開された映画が『マイ・フェア・レディ』である。彼女はこの作品で100万ドル女優へと伸し上がった。

原作は1913年に皮肉屋のジョージ・バーナード・ショウがギリシャ神話の「ピグマリオンとガラテア」を下に書き上げた戯曲『ピグマリオン』である。原作の『ピグマリオン』は特権階級の貴族を皮肉った悲劇で幕を閉じる。一度映画化された事もある。これをガブリエル・パスカルがショウを説き伏せミュージカル化を企画したが、ショウが1950年にこの世を去った後、パスカルも1954年に死去し、ハーマン・レヴィンがその遺志を受け継ぎ、アラン・ジェイ・ラーナー(脚色・作詞)とフレデリック・ロウ(作曲)がステージミュージカルに仕上げた。ラーナー&ロウの2人は原作の持つ登場者の人間的尊厳は崩さないようにし、娯楽性に考慮しハッピーエンドで終わるように書き換えた。

1956年 3月15日、ブロードウェイのマーク・ヘリンジャー劇場で産声を上げたこのミュージカルは次々とそれまでの公演記録を塗り替え、“20世紀ミュージカルの最高傑作”と評され、約6年半 通算2717回のブロードウェイ続演記録を生み、ロンドンでも6年間の上演記録を作った。

主演のイライザにはイギリス製ミュージカル『ボーイフレンド』で人気が出始めた20才のジュリー・アンドリュース(後に『ティファニーで朝食を』のブレイク・エドワーズ監督と結婚)、レックス・ハリスン、スタンレー・ホロウェイ等が脇を固めた。日本でも1963年に東京宝塚劇場で江利チエミ、宝田明の主演で“日本初の本格的ブロードウェイミュージカル”として上演された。

このような美味しいミュージカルにハリウッドが黙って置く訳が無い。ワーナー・ブラザースの元社長ジャック・L・ワーナーは当時破格の550万ドルで映画化権を手に入れ、1700万ドルの巨額を投じ世界最高のミュージカル映画を作る事にした。舞台は20世紀初頭のロンドンである。エドワード時代のゴージャスでエレガントな雰囲気を出す為に、装置と衣装デザインをセシル・ビートンに任せ、監督には『スタア誕生』や『風と共に去りぬ』の最初の監督をした、女性映画第一人者のジョージ・キューカーを起用した。言語学者ヒギンズ教授役には舞台でも好評を博したレックス・ハリスン、主役の花売り娘イライザの父親役にもスタンレー・ホロウェイをそのまま起用、彼はもうその頃70才をとうに過ぎていたが演技に年齢を感じさせない実力・魅力を兼ね備えていた。

主役のイライザには誰もが舞台で成功を収めたジュリー・アンドリュースを起用する物だと思っていた。折しもその年、1963年公開の映画で20世紀FOX社が倒産の危機にさらされかけた。映画は『クレオパトラ』・・・エリザベス・テイラーとリチャード・バートン主演で作られたこの映画は主役の2人に映画のストーリーを地で行く一大恋愛の橋渡しをしたのである。この末この2人は、2人の最初の結婚をする事になったのである。

『マイ・フェア・レディ』の映画化にワーナー・ブラザースの社運を賭けていた。プロデューサーのジャック・L・ワーナーは20世紀FOXのような不要なトラブルを恐れ、映画的にはまだ当時知名度の低かったジュリー・アンドリュースの起用を避け、世界的に有名なオードリー・ヘップバーンに その白羽の矢を立てたのである。・・・5ヶ月の撮影の後、映画『マイ・フェア・レディ』は1964年の10月21日 ニューヨークのクライテリオン劇場でロードショー公開される事になり、その年のアカデミー賞8部門を獲得した。

しかし運命の皮肉は完璧な演技をしたオードリー・ヘップバーンをアカデミー賞の主演女優賞候補にも上げず。映画『マイ・フェア・レディ』を追われ、同じ20世紀初頭の同じロンドンを舞台にしたディズニーのミュージカル映画『メリー・ポピンズ』のタイトルロールを演じたジュリー・アンドリュースに その栄冠をもたらす事になる。・・・しかし、ジュリー・アンドリュース本人も言ってるように ジュリーが獲得した主演女優賞は、『マイ・フェア・レディ』の舞台での成功と映画『マイ・フェア・レディ』から追われた彼女へのアカデミー協会の同情票だった事は否定出来ず、ジュリー本人をも苦しめる結果となってしまっている。

映画『マイ・フェア・レディ』の中で、本当にオードリー・ヘップバーンは美しく輝いている。物語の中で説得力を放つレディとしての品格・気品は彼女の外見のみならず、あの演技力無くしては到底 観客には伝わる事は無かったであろうし、製作から40年の歳月が過ぎようとしている今、同時期に作られた『クレオパトラ』のエリザベス・テイラーも 『メリー・ポピンズ』を演じたジュリー・アンドリュースも影を潜めようとしている中、映画『マイ・フェア・レディ』のオードリー・ヘップバーンだけは その適役の中から燦然と輝きを放ち続けている。

彼女の事ばかり書いてるようだが、シネマスコープで撮られたこの映画は、画面の隅々まで実にお手本のような演出がなされている。有名すぎるアスコット競馬場のシーンだけで無く、どの画面の どのシーンを観ても、そのプロットにおける人物・道具・色彩の配置が途上人物の心理の上までも計算され描かれているのには比類を見ない。例えばイライザに恋をするフレディ・アンスフォード・ヒルが彼女が住み込むヒギンズ教授邸の前で歌う「君住む街で」のシーンでは、フレディの恋の炎が灯り始めた事を象徴するかのように画面の両端は花で挟み、奥にはガス灯に灯を入れる作業員を登場させる。また、失恋に打ちひしがれたヒギンズが“ママ”の家からの帰り道に歌う「彼女の事で頭がいっぱい」のシーンでは、枯れた落ち葉や通り行くカップルをわざと背景に入れる。まだまだここに書くには足りない多くの演出がなされているが、今回はこの辺で・・・

※舞台『マイ・フェア・レディ』で主演したジュリー・アンドリュースは、アカデミー主演女優賞を獲得した『メリー・ポピンズ』よりも、『ウエスト・サイド物語』のロバート・ワイズ監督の下に主演した2作目の『サウンド・オブ・ミュージック』の方が明らかに数段上の演技を披露している。

・・・オードリー・ヘップバーンは、その名声を否定する事無く、ユニセフ親善大使として晩年を過ごした。「・・・ユニセフ親善大使をする上で、私は映画スターであったお影で 世界が私を通してこの活動に注目してくれる事を嬉しく思います。私は、何故私が映画スターであったのかの意義を 今感じています・・・」・・・彼女は彼女自身の戦争体験から得た苦しみを解き放つかのように世界中の子供達に無償の愛を注いで最後まで歩いた。死の床に就く事を悟った彼女は彼女の子供達に支えられながら自分の家の庭を歩いた。そして庭に生える植物達にまで最後の別れを告げた・・・。

『マイ・フェア・レディ』=“私の貴婦人”はスイスに眠る。





VOL.14 原作と映画の間『ティファニーで朝食を』
お約束通り今回取り上げる映画は、1961年のパラマウント映画『ティファニーで朝食を』ですが、ちょっとその前にお知らせを!

前回取り上げた映画『ウエスト・サイド物語』が、(ル テアトル銀座)で、12/28(土)より、ニュープリント・デジタルリマスターバージョンでリバイバル公開されます。ちゃんと映画館と言う環境で、この名作を観る事が出来るのは、おそらくこれが最後の機会となるでしょう。是非みなさん、一度も二度も観た事のある人でも、足を運んで最後のお別れをしましょう!・・・?

話がそれましたが、元に戻して『ティファニーで朝食を』"Breakfast at Tiffany's"の原作初版が出たのが1958年の秋頃である。作者は、トルーマン・カポーティ 。3年後、パラマウントが監督/ブレイク・エドワーズ 主演/オードリー・ヘップバーン、ジョージ・ペパードにより映画化した。
原作に出てくる主人公のホリー・ゴライトリー(ホリーは、ホリデイの略である)は、何よりも己の自由を求め、最後まで自由の天地を探して放浪する少女として描かれている。それに対して映画の方のホリー・ゴライトリーは、原作の中で語り部をしている“私”と最後に結ばれる事になっている。これには多くの批評家が下世話になったと批判した。
もう一つ、多くの批評家が批判したのは“私”の職業・生活の安定性・納得性の為に、原作には登場しないパトロン(ちなみにパトロンを演じたのは、パトリシア・ニールである。)に“私”が囲われていると設定した事である。これが映画の出来云々よりも低俗にされたと批判された二つの大きな理由だった。

しかし僕は、この映画が出来て40年以上過ぎた思想問題で世界中がお互いを見つめ直している今、20世紀の当時の情勢として仕方なかった部分も有る事を、再認識する事も必要だと思う。それは原作者のトルーマン・カポーティがゲイだった事実である。今でこそ、かなり陽の目を受け始めたゲイの世界であるが、当時としては、まだまだ陽の目を見せられない陰の存在であった。そこを念頭に考えると当然ホリー・ゴライトリーは彼の化身、自由の天地“愛”を求め放浪する少女なのである。
それに対してパラマウント社が映画興行的に成功させる為には、映画スター、オードリー・ヘップバーン演じるホリー・ゴライトリーはあくまでも美しく可愛い女で無くてはならなかったのだと思う。だから映画的な“愛”を掴みハッピーな結末を迎えるのである。
しかし果たして映画『ティファニーで朝食を』は原作より下世話になったと言えるのだろうか?とんでも無い!映画『ティファニーで朝食を』は美しいラブストーリー&ロマンティックコメディーに仕上がっている。
原作は“愛”を求め、映画は“愛”を掴んだだけの事である。

前回の「アーロン・ザ・ワールド vol.13」でも書いたように、大半のアカデミー賞を取って快挙をなした映画『ウエスト・サイド物語』と同じ年に作られたこの映画『ティファニーで朝食を』はアカデミー賞が始まって以来初の快挙、アカデミー劇音楽賞と作曲賞のW受賞した映画でもある。作曲者のヘンリー・マンシーニは映画『グレンミラー物語』でアレンジャーとしての手腕を見せていたが、彼の存在を世間に知らしめたのは、1950年代ブレイク・エドワーズが監督したテレビドラマ『ピーター・ガン』の音楽を担当した事からである。主題歌の「ムーン・リバー」はあまりにも有名な曲だ、作詞のジョニー・マーサは、〜自由を求め、2人で世界を漂流する私達〜を歌にしているが、原作の中にも主人公のホリー・ゴライトリーが窓辺でギターをつま弾きながら歌うくだりがある。その詞には、あまりにも孤独なトルーマン・カポーティの心情が伝わって来る。・・・眠りたくもなし、死にたくもない、ただ旅して行きたいだけ、大空の牧場通って・・・




VOL.13 不滅の抗争の中に有る悲劇『ウエスト・サイド物語』
1961年に映画化されるまで、ブロードウェイのヒットミュージカルの公演回数としては決して多くは無い700回ちょっと、それでも2年あまりのロングランをした舞台のミュージカル作品である。
オーバーチェア(序曲)のあまりに有名なタイトルデザインは、<アーロン・ザ・ワールドvol.6>でも紹介したソール・バスのデザインによるものである。そのタイトルデザインからディゾルブして現れるマンハッタン島の俯瞰撮影。
そのマンハッタンの一角に現れる2つのグループの抗争・・・

『ウエスト・サイド物語』の下敷きになるのは、シェークスピアの戯曲「ロミオとジュリエット」であるのは有名な話であるが、作者で監督もしてる振付師のジェローム・ロビンソンが「ロミオとジュリエット」に関して学生とディスカッションしている時、一人の学生の「・・・それは現代のニューヨークにも息づいている」と言う発言から物語が誕生したと言われている。

リアルに北朝鮮問題などを見つめている僕たちにとっても、決してこのような問題を他人事として見れない。小さなグループの抗争に存在する『ウエスト・サイド物語』の2人の愛にしたって、家族や恋人を取り囲む色んな抗争にしたって、皆命がけの事だろう。当たり前の事、命の尊さや自由への尊厳は、個々の生命体の違いを受け入れる事から始まると思うのに・・・。

主演のマリアには、この映画の完成から20年後の1981年、1人夜の湖にボートをこぎ出し、謎の死を遂げたナタリー・ウッド、相手役のトニーにはリチャード・ベイマー、他にも『アンネの日記』のアンネ・フランクの相手役ペーターとしても出演ているが、まあ、この『ウエスト・サイド物語』の方が有名だろう。しかし彼は『ウエスト・サイド物語』唯一のミスキャストとされている。
演技力の問題と言うより、一夜にして恋に落ちる現代版ロミオとしては、その魅力に欠ける事はさけられない。一方、ナタリー・ウッドは少女時代から子役として活躍し、この映画で大人への脱却を果たした女優である。子役から俳優に成るのは、かなり難しいとされている中、43歳でこの世を去るにはあまりに惜しい人であった。

一方、この映画により一躍有名に成ったのが、マリアの兄をやったジョージ・チャキリスと、彼の恋人役のリタ・モレノだろう。2人はそろってアカデミー賞の助演男優賞と助演女優賞を獲得したのである。他にも『ウエスト・サイド物語』は多くのアカデミー賞をかっさらってるが、音楽だけは受賞の対象外とされている。これはアカデミー賞自体が映画の為のオリジナルでなくてはならないとの規定があるからであるが、ミュージカルとして最も劇と融合した音楽として今でも名を刻んでいる。作曲のレナード・バーンスタインは、言わずと知れた現代音楽の第一人者だった。作と演出のジェローム・ロビンソンはダンサーとしても振付師としても第一人者であるが、この映画を共同監督したロバート・ワイズとは、この映画の完成後、二度と彼とは一緒に仕事を組まないとケンカ別れをしてるが、映画の完成度を観る限り、そのクオリティー高さは比類を見ない。

この『ウエスト・サイド物語』、リバイバル公開には必ず「アカデミー賞○○部門受賞!」との宣伝文句が付いてるが、アカデミー賞受賞が決まる前には、こんな感じのコピーで売られていた。「東京なら銀座か上野の町角、でも舞台は浅草」・・・今では信じられないキャッチコピーだか、宣伝担当の苦労が忍ばれる。

先ほどアカデミー賞の音楽の規定に関して少し話をしたが、この年のアカデミーの音楽部門には初めての快挙があった。それは、ある映画のアカデミー劇音楽賞と主題歌賞のダブル受賞である。アカデミー賞始まって以来の出来事だった。その映画も同じニューヨークを舞台としている。オードリー・ヘップバーン主演の『ティファニーで朝食を』である。
次回のコラムには、この『ティファニーで朝食を』を取り上げる事にしよう。


VOL.12 「アンナ・マデリーナ」・・・誰にでもいる モク・マンイー
「君に恋を伝えよう」・・・そんなキャッチコピーがついていた。
これは、どこにでも、誰にでも存在する“ごく”当たり前の恋の映画である。

「アンナ・マデリーナ」と言う曲は、バロック音楽の巨匠=バッハの2度目の奥さんの名前・・・
かなり堅物のバロック音楽の巨匠バッハが、愛する新妻の為に書いたピアノ(当時はチェンバロ?)の小品で、現代風にアレンジされた曲は「ラバーズ・コンチェルト」として知る人も多いかと思う。

映画も変わってる。昔の映画やオムニバス形式の映画では見かけるが、
第一部や第二部・・・と区切られた珍しい映画で、しかも区切り方が
「第一楽章」「第二楽章」「第三楽章」と区切られ、おまけに「変奏曲」で締めくくられている。

物語は金城武扮するピアノ調律師のチャン・ガーフーの一人静かな生活から始まる。
孤独に背を向けるセリフも無いプロローグだ。

「第一楽章」に入ると好対照な“動”の人物、ヤウ・モッヤン(遊牧人)が登場する。
二人の奇妙な同居生活に、やがて「第二楽章」でモク・マンイーと言う娘が関わり始める。
何かと衝突しあう ヤウ・モッヤンとモク・マンイーに対して、一人静かに想いを寄せる チャン・ガーフー・・・
ところが、あるトラブルをきっかけに、モッヤンとマンイーは急接近してしまう。
「第三楽章」では、モッヤンとマンイーの恋の成熟が描かれている。
一人取り残されたガーフーは悪夢を見ているようだった。でも、何も言えずに二人を見送るだけのガーフーだった。

そして映画は「変奏曲」へと静かに移行する。
・・・と、ここまでであれば、どこにでもあるB級映画であっても、なんらおかしくも無い。

しかし、この映画をお薦めする理由は、一本の“只の”映画で倉入りにするにはあまりにも不変的な“人は永遠に人を求めて行くものなのだ”というものを、
これもその部分だけ観れば“只の”B級作品のような「変奏曲」を付ける事により
心の底を揺さぶるような上質の感動を与えているところだ。

「変奏曲」では、今までの出来事を一変して、孤独に向かい合うチャン・ガーフーの書いた小説が、ここで初めてこの映画に登場する、ある編集局に勤める女性編集員の彼女の片思いとだぶらせながら映像として現れる。
小説の中では、同姓同名の多くのモク・マンイーが現れ、それぞれが愛をしっかりと抱いて生きているのが描かれる。
また小説の中では、ガーフーは躍動的な人物として現れ、想いを寄せていたマンイーと人生の冒険をし、互いに必要な人物として二人は愛を成就させる。・・・そしてこの小説の結びは、次の言葉で結ばれる。

「この世は 運の力が大きい モク・マンイーを見つける者がいれば
死ぬまで見つからない者もいる それが人生だ」
  チャン・ガーフー  

エピローグ、やがて原稿は出版される。店頭に並ぶ小説を見つめるガーフー、
横に立つモッヤン、
「どうして彼女に好きだと言わなかったんだ」
「・・・そんな事、言えないよ・・・」
「・・・それなら、それで君の道を行くしかないな」
やがて映画は登場人物の横顔をスケッチのように写しだし、それぞれのモク・マンイーを探して旅立つ・・・

ENDタイトルが出て、完結する映画、余韻を残す映画、映画もまたそれぞれだ、
だが、人を愛する心を思い出させてくれた映画を久しぶりに観たような気がした。

1998年/香港映画 《主演:金城武 ケリー・チャン アーロン・クォック》





VOL.11 インディーズのような『少林サッカー』
“君は観ただろうか!『おいしい野郎』や『熱球物語DX』を!!”
・・・もしも、これらのインディーズを“気持ち良く笑えた君なら解る!”そんな映
画がやって来た!!『少林サッカー』・・・僕は幸いにも、カンボジアに住む、ネッ
ト知人から去年、送ってもらった VCD で、「・・・これ、日本公開しても良いん
じゃないかなぁ!」・・・そんな事を、あるBBSに書き込んだものでした。

元題『少林足球』そのままの邦題訳、もうOKもOK!!
すでに、5月の公開前から火が着いたような話題だ!その頃、ちょうど日韓ワールド
カップ!計算したような公開の仕方!!・・・ところが映画を創ってしまったのは、
日本でも韓国でも無い、香港と言うから、現在アジアでの映画熱と言う物が伺えそうだ。

公開前なので、ストーリーそのものには極力触れない様にするが、いくつかの見所を
紹介しよう!色んなパロディーが出て来るが、君はいくつ解るだろうか???

まず冒頭から奇しくも「アーロン・ザ・・・」vol.1で取り上げた、超ド級の名作の
パロディーが観れます!・・・これは、この作品そのものが、2001年に創られた事へ
敬意を払ったストーリーとは何も関係ないパロディーです。・・・地球の向こうの少
林のお坊さんの頭に残る、お灸の跡に注目!・・・さて、その向こうに見える物は???

もう解るように「少林」と「サッカー」を組み合わせてしまった訳ですが、これがな
かなか肝心のお坊さんが出てこない!・・・でもラストのラストで坊主は出てきます
!この意外性にも注目!!なんとこの坊主、新体操のリボンでもやっとるんかい!!
てな動きで少林の精神を見せてくれます。

・・・少林における拳法は、武器としてでは無く、相手の力を応用する受身なのです。
火の色も、水の色に変るのもその現れです。注意して観てね!

また、少林と来れば、元祖のような ブルース・リー氏・・・彼のそっくりさんは、
オーディションで決定されたそうです。特に注意してもらいたいのは、彼の退場シー
ンのセリフと退場になった訳。ドラゴン=ブルース・リー氏は燃えます。

ところで、いよいよゴールデンウィークですね!・・・4/28(日)のTV番組には、GWらしく
21:00〜観たい番組が重なっている!が!!ここは自主上映のコラム「アーロン・ザ
・ワールド」らしく、録画するなら NHK教育放送 22:00〜23:53の『サンセット大通
り』をお薦めしておきます。(ちなみに僕は、21:00〜21:54の日テレも録画の予定で
す。「行列のできる法律相談所」に史城未貴さん出演、オナラを披露してくれるそう
です。困難な役柄でしょう?プッ!)そして、吹き替え放映の『シュリ』を観る予定です。
『サンセット大通り』は、『昼下りの情事』のビリー・ワイルダーが1950年に監督し
た、ハリウッド内幕物、暴露映画です。
同じ監督とは思えない演出力は必見の物があ
りますよ。





VOL.10 それではみなさんさようなら。『自殺サークル』
こちら側のプラットホームから見る、向かい側のプラットホーム。みんなこちらを向
く女子高生、ホームの間に有るのは、たった4本のレール。
これが普段の風景なら、別の電車に乗る関係だけに、僕達は何の意識もしない
だろう。仮に同じような設定で、新入生と在校生が体育館で向かい合う時など、向か
合った最前列の者は、どんなに重圧感を感じるだろう。・・・人間とは、そうやった
状況の違いで、こうやった同じような状態の違いを自分の中に受入れるか受入れ無い
かを、無意識の内に決定着けている。

『自殺サークル』のポスターは、そう言う人の心理を計算されて創られた簡潔で強烈
なポスターである。向かい側のプラットホームにビッシリと並ぶ女子高生、こちらを
向いてても、こちらに立つ僕らには、何の関係も無い人達のはずなのに、黄色と黒の
2色刷りから受ける深層心理の危険注意の疑惑。しかもその上に白抜きされた“そけ
ではみなさんさようなら”の言葉!おい、な、なんだよ君ら、普通に話し掛けて来る
なよ!そう思ってしまう。

映画を新宿駅東口すぐの新宿武蔵野館のレイトショーで観始める。映画が始まると聞
きなれたホーム音とアナウンスの声、新宿駅である。ホームへと階段を降りて来る、
色んな学生服を着た女子高生達、新宿駅南口からホームに降りてきてる人達の様であ
る。楽しそうに雑談をしている。日付は、5月26日19:30を過ぎている、夜の
照明が点いている。過密ダイヤで有名な中央線快速である。またホームにアナウンス
が流れる「危険ですから白線の内側でお待ちください」と、その時である。楽しそう
にバラバラに雑談していた女子高生達が人ごみをすり抜け、白線の外側に並び手をつ
なぐ。ホームには滑り込んで来る中央特快、少女達がつないだ手を大きく降り始め、
楽しそうな掛け声が始まる「いっせーの!いっせーの!いっせーの、せ!」・・・5
4人の集団自殺である。顔を車輪に砕かれる者、手・足が切り離される者、胴体がす
りつぶされる者、・・・車内の人達は、軽い揺れに「あら?」とした程度の様子、
ホームに居た人も何が起ったのか一瞬判らなかった様で、ホームにまで飛び上がって
きた大量の血しぶきで、悲鳴に変わって行く。その血しぶきに流される白いスポーツ
バッグ・・・。テレビでは、「デザート」と言う、平均年齢12.5歳のアイドルグ
ループが日本中のアイドルファンを引っ張って居る。それをキッカケに次々起る謎の
自殺。それぞれの自殺には一見何の関係も無さそうである。が、ずっと観ていると
解って来る共通点。自殺サークルの仕掛け人の様に現れる人々・・・でも彼らこそ悲
しくも?自殺の出来無い“生きた”人間なのである。

実は今日、僕は胃カメラを呑んできた。撮影には普段の倍近くの時間が掛かり、20
分近くもマウスピースを噛んでいた。「ゲップを我慢してくださーい。楽にして、楽
にしてー」・・・そんな事言われても出来るもんじゃ無い!必死に努力してる内に、
力尽き、後半は死んでしまった。(笑)お影で後半の撮影の方が、ずっと楽だった。
それで僕は、改めてこの映画の問い掛ける物、言わんとする所が分ったような気がし
た。

この映画は、親に叱られた事の無い人。病気の辛さを知らない人。そしてゲームには
まる人。流行先行じゃ無いと仲間外れに感じる人。この4項目の内、3項目のに嵌
まってしまう人には、お薦めしません。(笑)


最後に、奇しくも「アーロン・ザ・ワールド」で取り上げた直後、2002年3月27日
に他界された、『昼下りの情事』のビリー・ワイルダー監督の、御冥福を祈りたいと
思います。